幸せのサングラス

Hey bros!

この前は、しょーもないことをウダウダと長いこと書いてしまった。酔っ払い上司かいなとばかりに。

まぁだいたい酔っ払って初めてブログでも書こうかってなるんだから、仕方ないな。

朝イチ、おはよう。今日も綺麗な朝日に癒されます、なんて投稿してもな。イギリスの次は何にかぶれやがったと言われちゃうしな。

まぁここでは下世話なくらいがいいか。右を見ても左を見ても下世話な人間ばかりなのにコンプライアンスとかなんかのせいでテレビも芸人もミュージシャンもつまらなくなってる。これを以下に破壊するのかすり抜けていくのか、これはもういわゆる娯楽芸を扱う人間にとっての目下緊急課題だなぁ。

最近新しいサングラスをゲットした。
死ぬ直前のジョンレノンがかけていたようなやつを探していたら、気に入ったものがみつかった。

もう完全に気に入ってしまって、夜でも家の中でも、雨の日も、冷蔵庫を開ける時にもかけている。

通りすがりの人に、あ、夜なのにサングラスかけてる、と思われたと気付いても、なんのその。

これは一生ものだな。

一生もののバカだな。

コロナが再び。

今週決まってた豊橋在住の外国人との初レギュラーイベントも、Corona is coming back!とゆうことで延期に。あぁ演奏しかり、生の英語を学ぼうと思っていたのに。

これはもうしばらく無理だな。
引きはじめにしっかり寝なかった時の風邪のようだね。

この疫病対策としての新しい音楽のカタチ、生活のカタチじゃなく、ただ単純な新しいカタチがほしい。CDが売れないだなんだなど、もう話しても無駄な時間だ。

いわゆるココロでもなくタマシイが求めているカタチを、自分でも分からない自分の中の何かの姿を、探して行くのだな。十分な時間と、十万のお金と相談しながら。

さぁ明日はPVをとりにいくのだ。あのサングラスをかけて。雨だけど。

配信カメラの向こうがわ

お久しぶりの。

1年くらい書いてないのかも。いや、その間にも書こうと思ったり、実際に書き始めて気絶したり、消したりで、ほぼ1年。

イギリス行ってから書いてないな。おれはまだこのブログ上では香港にいることになってる!

あれからとゆうものの、曲を作ったり少しライブをしたりと、まぁそれなりに過ごしてきて、今年も5月末から再びイギリス、そして新たにオランダへ行く予定が、例のウィルスで。

キャンセルが決まった時には、まぁ行ったところでライブは出来ないし、人々もそんなモードではないから行っても仕方ないのだと軽く、いや軽くもないけどハラを決めていたのだけど、いざその再び飛び立つハズだったその時を、ソファーの上で変わりばえのないニュースを観ながら過ごしていると、だんだんと空白の穴が空いてきた。

世の中は少しずつ解禁されて、楽観ムードになりつつあり、”オレはもともとインドアだから、自粛でも何にも変わらなかったヨン”なんてあちらこちらで聞こえてきた頃。

リモートワークだ、新しい生活だ、何だと言ったところで、結局あいも変わらず満員電車は今日も環状線を再びただ回り始めたことが、急にずっしりと空から落っこちてきたのである。

そんな時に、日本と海外のアーティストとの交流イベントでのライブが決まって、今年は配信ライブだったのだけど。。配信などクソ喰らえだと思っていたけれど、あったこともない、まだ知らないところにいる人たちに届けるのならばきっと意味があると、思って参加した。

最初は久々のライブだし、配信への違和感からうまくいかないんじゃないかと心配そうにしていたけど、やはり考えて考えて考え抜いた、そのやる目的、があったからかとてもいい空気で演奏できた。不本意なことをしている時は何か嫌な気持ちになるものだけど、全くなかった。これが配信ライブの意義なんだとおもえた。

知らないだれか。
ただこのソファーに座っているだけじゃ会うこともないままのだれか。そんな人が自分の想像をはるかに上回るほどいる。ここからじゃ見えない景色があるのだと、もう一つ先の見えない扉を開けてみようと思った。

思えば一年前、ホントにひとりでイギリスにいけるのかと内心ホントにビビってた。HISやらJTBやらの手助けはないし、地元の電車もやっと乗れるようになったレベルなのに。現地に知り合いなど誰もいないし、トイレや路上でボコられて、ケツの穴にコーラの瓶でも入れられると思ってた!いや、まじで。

それは行かなけれは決して見えない景色だったのだ。行かなかったらきっと、他の誰かがいつかひとりで海外へ行くと言いだしてもおれはきっと、ケツの穴にコーラの瓶でも挿されて終わりだ!なんて言ってたと思う。

まったく違う人生を歩んでる友だちが、20歳までに自分で勝ち得た成功体験がある人間とない人間では大きな差が出るといっていた。

あの時あんなにやれたんだから、って本当に限界の時に思い出せる成功体験は確実に違う結果をもたらすと思う。そしてまた違う扉を開けてくれる。

明日も明後日も、楽しくてたまらない。
満足してないのに楽しくてたまらない。

そんな話ができる友達がいるのは幸せなことだなぉ。

なかなかひとりで走っても、新しい記録は出せないもの。

またちゃんとライブができるその日まで、やれる事をやり抜こう、明日も大事にしようと、配信カメラの向こうを眺めながらおもった。

ストロベリーフィールズフォーエバー(乱文)

帰って来ました。

 

蒸し暑い。それ以外の事は浮かびませんでした。

少しずつ記憶が薄れつつあるなか、思い出してみてもとてもいいツアーだった。

そんな余韻に浸る間も無く、マンチェスターで出来た友達が日本にたまたまくるという事で名古屋で会って来た。

ポエットリーリーディング?詩を読むアーティストで、初めて見ることができたけど、とてもよかった。言葉の意味はほとんど分からないけど、いいものはいいしね。

1975と聞こえたので、あの1975ってバンドがキライなの?オレもキライだよって話したら、そうだよな!ロックじゃないよな!どうせロンドンかどっかの出身だよ!といっていた。

考え方がまるで似ている(笑)

酔っ払っていたので、カタコトの英語で、ロックンロールは世代を分断するものではない、という話をした。

すると彼は、そうだね、特にマンチェスターでは年齢に関係なく、文化が受け継がれている、と言っていた。ニューオーダー、スミス、たくさんのバンドが未だにカッコいいバンドとして皆んなが捉えてる。

2年前初めてイギリスに行った時、音楽ではないけど、ミュージカルを観に行ったときにそれを感じた。

子どもも、髪の毛もスーツもバシッとキメて、1人の男性としてそこにいる。駅でも店でもドアは当たり前のように次の人のために開けてあげる。紳士の振る舞いとゆうやつか。

年功序列とか、老人を敬え、とかではない、ただただカッコいいもの、への憧れと、受け継がれていくもの、日本ではあまり見かけないタイプのものだった。

考えてみると日本で唯一残っている思えるのはお祭りだった。カッコいい大人に自分もいつかなるのだ、なりたい、と思わせてくれるものはそれしかないのではないかと。個々のレベルでは仕事の先輩とか、スポーツ選手とか色々あるのかもしれないけど。文化全体として。それも衰退しつつある。

音楽では特に薄いような気がしてしまうなぁ。思いつくのは清志郎とか、村八分とか、尾崎豊とかかな?やっぱり皆んなロックンローラーじゃないか。音楽的趣向の話じゃなくて。

 

話はそれてしまったけど、マンチェスターの彼は2週間ほど日本を回るらしい。次はまたマンチェスターで会おう!といってお別れ。

 

ぼんやりとこれから何をしようかと考えている。やりたいことは決まっているのだけど。漠然と大量のやりたくないことが浮かんで来ている。やりたくない理由が分かるまで、考えてみる。

 

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ツアーを終えて、空港で荷物を預け、やっと軽い身になってツイッターを開くと、地元の年の近い先輩のバンドが解散すると発表していた。

個人的には、なんでこのタイミングに被るねん、と思いつつ。特に驚きはなかった。

3、4ヶ月前、ライブを観に行ったとき、もう辞めるだろうな、と思えてしまった。何故かはわからないけど、それまでそのバンドが描いて来た世界観、ユーモア、そういったものがもうバンド自身、信じられなくなってると感じれてしまった。

それを観てからは、もうライブにいく事はやめた。みていてもつらくなるだけだし。調子がいいとか悪いとかじゃないのもわかった。それがなくなったらバンドは終わりだ。

とりたてて音楽性は好みではなかったし、自分には関係のない音楽だった。それでも、何かしら彼らのやる事に意識が向いていたのは、個人的な関係は置いておいて、彼らのユーモアとスター性と、圧倒的な才能だったと思う。

まだ隠れてトイレでタバコを吸ってる時から知っていたから。

この街では唯一、音楽と人生がリンクしている人だったので、最初に知った時は、どっと疲れのような、黒い雲がおりてきた。

まぁ年齢も近いし、頑張ってきたし、そうゆう人から辞めると聞くと、素直にお疲れさま、と思える。自分もバンドだったらきっと色んな事情が重なってそうなっていただろう、とも思う。

自分はいまひとりだ。

行きたいところには、どこでも行ける。やりたくないことはやらなくていい。

それは良くも悪くもある。

ひと月の間、異国でほぼ自分と同じ重さの荷物を引きずり、誰にも頼れなかった。

そうゆうコトがお前を成長させてるんだよ、と友だちは言うけれど、自分ではわからない。

ただ一つ、それに血の通った言葉をかけてくれる存在がいなくなったのは、また一つ電灯がきえたような。

急激に周囲に対する関心をなくしてしまった。音楽性とか才能とか、巧さとかじゃなくて、音楽と人生がくっついている人間はこの街で見渡してももういない。ロックンローラーとしか、共有する舞台はない。

なにも”受け継がれる”ことはないだろう、と思えてしまっている。打ち上げでの飲み方くらいじゃないか。

あの頃は若かったから、とか言う元ヤンみたいだ。若かったからグレていたのではない。その認識は世代を分断すると思う。

 

漠然と浮かぶ”やりたくないこと”のふるさとはその辺にあるのではないかと思えてる。

No one I think, is in my tree.

I mean it must be high or low.

だれも僕の木にはいない、

それが高かろうが低かろうが。

ビートルズのストロベリーフィールズフォーエバーの歌詞。

 

今自分に言い聞かせることは、

行きたいところにはどこへでも行ける、ほかにない。