雨の唄

20歳くらいのころ、Bob Dylanをよく聴いてた。

これといってやる事もなく、時間があると言えるほど体力も少しはあったので(?)、バイトを終えると、バイクに乗って猿投グリーンロードみたいなところを好きな音楽を聴きながら、走って、何度も死にかけた。

何をやってたんだか。真冬でもやってた気がする。。

そのころネット上では今でいう違法ダウンロードし放題状態で(倫理上の問題ではなく)、その中でBob Dylanをごそっと拾っていたら謎の“Forever Young”という曲がパソコンにはいっていた。

もちろんちゃんと買ったものではなかったのでそれが本人なのかは当時わからなかったけど、ずっとそれを聴き続けていた。

(もうその当時のPCはないし時効か!)

いつまでも若く、そんなことを考えたり考えなかったり、後から思うと恥ずかしくなるくらいのチャレンジと失敗を続けていくんだ、とか考えながら。

今思い返しても恥ずかしくてソワソワしてしまうことってあるしね。言わんけどね。

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“Song For Rain”

この曲はたしか去年くらいにつくったんだけど、その時次のシングルはコレにする!みたいな他の曲があって、そのデモを友だちに聴いてもらってる時に、最近できたんだけど、、ってコレを聴いてもらったら、コレの方がいいんじゃない?ってちゃんと作り始めたやつ。

曲そのものはスルっとできたけど、アレンジやら音やらで、少し難航していた。。

それでも色んな人たちにアドバイスをもらい、半ば騙すように聴いてもらってリアクションをみたり、、しまいには豊橋のBARBUGSでセンパイに大声を張り上げてたりしながら、紆余曲折し、リリースされたという、曲そのものではない理由が重なって難産だったのである。

おれは友だち多くはないけど、いい友だちに恵まれているなぁ。

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一年前のそのころは、まだなんとなく、そのうちなんとかなるっしょ、って簡単に考えていたけれど、自分が最も苦手な、時間制限を設ける、というものに臨んでいたその時、そのうちっていつだ?という気持ちになって思ったことをそのまま書いた。

気づけばもう2年。何もしていない。自分のなかで。

何もできないうちにもう2年もたってしまった。そんな気持ちが感染者数の増減のように動いていた。

今の1020代の人たちにとっても大きなものかもしれない。

同級生の顔もほとんど見ずに卒業とか。

一応形式的には経済はまわっているけど、その辺のコアな、DNAに刻まれていくような経験はやはりないままだ。

この2年間、それでもペースとかで考えると遅いけど、自分の中ではいろいろとやってきたと思う。自分の作った歌をカタチにする術だったり、あまり人や環境に依存せず動けるようにはなったとおもう。

それでもやっぱり時間は無限ではないし、今あることが、当たり前ではないんだ、と思わせてくれたのは、自分の的には良かったのかもしれない。戦争がひどいときでも学校はあったんだからな。。。

そんなこと考えるのもまたひとつ、この先のためであって、そう思うと、全く疲れてはいないし、未来はいつもオモシロさに満ちてる。今何をすべきか分からない方が希望が見えない気がするしね。

一年後に上げる花火をこめるような。

花火師はそんなこといつもやってたんだな。

ちょうどBob Dylanを聴きながらバイクに乗ってた頃、花火師になろうとしたけど、やめた理由は、そんなことしていたらお祭りが出来ない、という理由だった。。。

はぁ、と一息ついて、明日も玉をこめるのだ。

ちゃんと曲の解説になってますかー!?

てなわけで。最後まで読んだアナタ、騙されてませんよ!!

 

ケツは燃えきってない

昨日は一旦の最後のライブ。

もう2度とここに戻って来れないかもしれない、と考えてみると、何だか不思議な気持ちになるので、なんだかんだいつもの通りな気持ちになった。

むかしの曲もやろうだとか、こんなMCをしようだとか考えてみたけど、そんなもの必要あるのか、と思えてきたり。

一曲目はMAYBEという曲にしたんだけど、これは初めて自分の思うような歌詞を書いた曲だった。気がする。

なんというか、おれはあんまりいわゆる自己顕示欲がないとゆうか。そんなに人に何かを押し付けたいような気持ちがないとゆうか。そんなことを生まれてこのかた今も考えているのだけど、自分の気持ちややりたいことがないわけではない。むしろそうゆうものは人より強いとおもう。しらんけど。

そんなものをひとつカタチにできたのがこの曲だった。いつも新しいチャレンジをする舞台ではこれを歌ってきた。初めて行くライブハウスからマンチェスターの路上でまで。

今の自分の決断と、この歌が言ってることと矛盾があるのだろうかと思いながら歌っていたような昨日。

好きなのに理由はないが嫌いなのには理由があるように、やるのには理由はいらないが、辞めるには理由が必要な気がする。

色んな要素があるけど、もっとも大きなものは、3年前に立てた目標に遠く及んでいなかったこと。もちろんコロナやらそんなこともある。だけどすべてそのせいにするのは違うというのが自分の中にも見えたこと。

色んな人に、しばらくやめようと思う、と話すと、みんな気を使ってかやめなくていいじゃないかとか黙って休んでまたやればいいじゃないかと言われる。

でもそれを自分の目標や夢に置き換えたときに、成し遂げれなくても黙って続けてればいいじゃないかという結論にはどうしてもならないと思う。

それにそんなことは今までも何度もしてきたことだから。

三年前、二年前、自分はグラストンベリーに出るという目標を立てた。こんなにも心から立ち向かえる大きくて心から揺さぶられるものは初めてだった。いわゆるブドーカンとかめじゃーでびゅー、とかではなく自分自身の。

一昨年実際にイギリスにいって、ここで勝負しようと思った。戦って骨になってもやれることは全てやれたと、生きれる全てを生きれたと思えるだろうと。

サーセン、だいぶモードに入ってますが、、

しかしこの2年、、もう2年、、

この先に、いつ何がどうなって、今自分がやれる最善のことは何だろうと思った時に、今はダラダラと流行病に文句を言いながら音楽みたいなことをやってる時じゃないと。そんなに器用なことはできない。

週末だけ音楽を楽しめばいいじゃないか、と言われて、何度もそう思えたらさぞかししあわせなんだろうなぁと思ってきたけど、それではグラストンベリーにはいけないし、いけたとしてもそれは望んだカタチでは絶対にない。

死ぬまで音楽をやることはできるけど、死ぬまで自由に夢をもって音楽をできるのはなかなか難しい。

また一年後に戻ってきたいとおもう。

一年後に戻ってきてなかったら、もう一生もどらない。おれのケツはいまカチカチ山状態なのである。

誰に言われたわけでもないけど。

財布の中に10円しかなくてもミュージシャンはミュージシャンと名乗れる。政治家は落ちればただの野武士。

その辺のヌルさに浸かっている時間はない。

あー長くなってしまった。理由なんか話し出すからだ。

とにかくとても色んなことを感じた日だった。

ケツは燃えきってない、ってことで。


キッチンのテーブル

 

ラーメンを待っています。

 

久しぶりに。ブログでもしたためようと。

 

めっきり寒くなりました。もうコートを引っ張り出して対策。

テレビじゃコロナだ、トランプだ、バイデンだと。どっちがなったって一緒だよ。どうせまたどっかに爆弾を落として、俺たちには遺伝子組換コーンみたいなやつを売りつけてくるんだから。

 

そんな渦中にエプスタイン氏は新曲をリリース。オンラインのみ。

初めて英語で歌詞を書いた。YouTubeに字幕を載せてあるから分かるかもしれないけど、英訳したんじゃなく、英語で書いてそれに日本語訳ををつけたので、なんか変な感じに。

英訳するくらいなら英語で書きたくないと思っていたので、なんとか完成できて、まずはひと満足。

 

イギリスツアーの帰り道の飛行機の中で思った事を言葉に。

映像はケータイの中に残ったものをたよりにくっつけて作った。

 

最初はいい曲になるな、と思っていたけど、レコーディングだ、ミックスダウンだ、なんてやってるうちに訳わからんかなってたけど、みんないい反応を示してくれたから、少しは伝わってるみたいだな。

自分にとっては、またイギリスに行くんだ、と常に口に出してないと、やはりコロナでストップどころか、どんどん遠くなっていくようで、こうやって曲にしたりして、気持ちをそのままの形で残しておける。

こんな効果も音楽にはあるのか、ってね、再発見。

諦めムードの世間の会話ももうオレには関係ないぞ。

足元はいつもぬかるんでいるけど、おれは八方塞がりになったことは今も今までも一度もないんだ。

 

どんどん新しい曲を作っていきたい。もうすぐ出せるのが何曲かあるんだけどわまたゴソゴソ無駄な時間をかけないように気をつけなきゃ。

 

もう随分と色んな要らないものを捨ててきた。キッチンのテーブルのうえで。

 

何としてもグラストンベリーに出るんだ。このキッチンがあれば他のものはいらない。まっすぐそこだけをみていよう。

 

ま、そんなところです。

 

“ON THE STREET “

https://youtu.be/VUiSe6STygg