愛と感動の4次元空間を過ごし、たらふくのアルコールとともに過ごしたひと月を経て、ここへ帰ってきました、Epsteinのみっちゃんです。
何か変なモノが欲しい、と思い立ち、先日浜名湖スワップミートに行ってきた。
スワップミートとは、イヤラシイ会ではなく、車の部品の交換会。実際にはフリーマーケットのような感じ。車の部品には興味はないが、骨董品や色んなものが売られてる。
去年は、不意に倒しても勝手に消えてくれない位古いストーブを買った。真っ白な鼻毛が数え切れないくらい主張してるおじさんからだ。
今年はラジカセを買った。
3000円。
これまた真っ白な鼻毛が数え切れないくらい主張してるおじさんからだ。運命なのか。運命の鼻毛なのか。
色んなものをテープに入れようと思った途端、動かなくなった。
一瞬鼻毛が浮かんだが、まぁそうゆうものだから、ってことでとりあえず開けてみた。
少し目眩がしそうなのをもろともせず、進む進む。
おれは昔から壊れてないところもいじって壊すタイプの人間だって事に少しは気付いて来たので、今回はこうした。
蝶々みたいだなぁ。
こうやって分かりやすく張り出したりして進めていくと、おれは仕事ができるやつな気がしてくる。それが間違ってるのもわかってるとゆうのに。
どうやらテープを回すゴムが枯れ果てているらしい。おそらく最後の持ち主になるおれに一瞬だけ挨拶して昏睡状態に入ってしまった。
ゴムだけ売ってるらしいんだけど、とりあえず拭き拭きしてたらなんとか流れるようになった!
せっかくなので色々と吹き込んでみた。ビートルズとかからサカナクションまで。
意外とサカナクションみたいな音が面白い。
とりあえず昏睡からは覚めたので、ゴムが切れるまでは働いてもらう。
時々ボケた音をだすけど。
これからEpsteinサウンドにボケた音が入ったらこの赤いラジカセか、想像の中の鼻毛を思い浮かべて欲しい。きっとおじさんも喜ぶだろう。
そんなところで!
こうゆうしょーもないことを書くのはTwitterで十分なのかも知れませんが。
ふと、
夜な夜なの、
ギモン。
走れメロス。
走れメロス!
これは誰が言ってるんだ?誰目線?
そんな夜な夜なの千鳥足なギモン。
数パターン考えてみた。
1.助けてもらう友人、またはその仲間の目線
走れメロス!
これはなんとゆうか、メロス!がんばってくれ、助けてくれ!とゆう、まぁ願い、悪く言えば(?)欲、みたいなものか?一部の読者もこれに入るのかも。
2.王様の目線
走れ!メロス!
友情とゆうものがあるのなら見せてみろ!(そんなものないだろう!)又は逆に、おれの価値観をぶち壊してくれ、とゆうなんとなく分からんでもない、すこしパンクっぽい目線。
3.読者の目線(状況的)
走れ!メロス!
悪い王様に気づかせてくれ、正義、道徳が勝つと証明してくれ、etc..または状況がそうさせている、メロスがそうゆう役割を負い、読者がヒーローに犠牲を押し付けるとゆう状況。これは少しどこかキレイで少し恐ろしいタイトル。
4.メロスが自分に言っている
走れ!メロス!
それならタイトルは”走れオレ!”になってるのか?わからないけど、あえて違う観点からすると、”走れ(みんなにとってのオレ!)”。これは”オレ=状況”な感じで、なんだか変だけど真実味がある。”オレはいいけど”ヤザワ”はどうかな?”を思い出す。(矢沢永吉の発言)
どれなんだろ?ほかのもの?どれでもいいけど。
小説の中で事実、メロスはいつ読んでも走っている、走らされている。明日も明後日も1000年後もメロスは走ってる。一体どこを、一体どこへ?
とゆうことは確かな感じ。
やはり、Twitterでぼやいた方がいい話?
カフェの隣から聞こえてくる会話は大抵しょうもない。居酒屋なら時々おもしろい話が聞こえてきたりするけど、おおよそはダンナの愚痴か、カネの話か、仕事の愚痴ばかりだ。散々あーだこーだ言って、オシボリの破れた袋を丁寧に結んで、またあーだこーだ始まって、終いには、ご飯は作らないと!、または、パチンコでもいくか、で終わる。
聞きかた、もとても難しい。オシボリで鶴を折らなきゃ聞いてられないし、うかつな返事は災いのもとだ。
以前、奈良のゲストハウス、ウガヤに行った時のこと。古い建物をリフォームしてあって、昔の町屋の造りというか、玄関入ると一段上がって広く宿泊者の共有スペースがある。
そこにコタツと本棚があって、特にやることもないので、ライブ終わってビール片手にそこの本を読んでいた。
その中に河合隼雄とゆうひとの本があって、それにハマってしまい結局ライブの疲れも忘れて明け方まで読み、結果共有スペースのコタツで寝落ちした。
豊橋に帰ってから何冊かその人の本を読んだけど面白い。臨床心理士。
その河合隼雄氏と村上春樹氏が対談してる内容の本が先日、なぜか空港の小さな本屋にあったので読んでみるとこれもまたおもしろい。
小説とゆう芸術に打ち込むひとの話を臨床心理士が聞く、幾多の人々をカウンセリングしてきた人の話を小説家がきく、なかなか深くまで掘り下げていてとても興味深い。あんまり村上春樹を読んだことないけど、一流の人の言うことは一流。
少し言いにくそうな話題にも触れてる。この”言いにくそうな話題”を受け入れてくれる人ってすごいね。”ある意味不謹慎かもしれませんが、、”から始まる話を。まぁまぁ、と流されてしまう相手もいれば、それはつまりどうゆうことだろう、と考えてくれる人もいる。この違いはなんだろか。懐の深さとゆうわけでもなさそうだし。
“人には誰でも欠落した部分があるが、それでいいんだ、それも自分なんだとゆう結論には絶対にならない”と春樹氏。言ってくれるなぁ。一流の生命力。
臨床心理士とゆうこともあってはなしの聞き方についても書いてあるけど、なんだかまぁおれ的な解釈では、水面のように聞くって感じかな。相手の顔を映しながら揺れたりするような。
カフェのオバちゃんたちが帰り道、まぁちょっと言いすぎたけど、冷静になってみたらこうだな、とかゆう風に聞けたら、カフェで聞こえてくる会話も面白いのかもしれない。
オススメです。