昨日は一旦の最後のライブ。
もう2度とここに戻って来れないかもしれない、と考えてみると、何だか不思議な気持ちになるので、なんだかんだいつもの通りな気持ちになった。
むかしの曲もやろうだとか、こんなMCをしようだとか考えてみたけど、そんなもの必要あるのか、と思えてきたり。
一曲目はMAYBEという曲にしたんだけど、これは初めて自分の思うような歌詞を書いた曲だった。気がする。
なんというか、おれはあんまりいわゆる自己顕示欲がないとゆうか。そんなに人に何かを押し付けたいような気持ちがないとゆうか。そんなことを生まれてこのかた今も考えているのだけど、自分の気持ちややりたいことがないわけではない。むしろそうゆうものは人より強いとおもう。しらんけど。
そんなものをひとつカタチにできたのがこの曲だった。いつも新しいチャレンジをする舞台ではこれを歌ってきた。初めて行くライブハウスからマンチェスターの路上でまで。
今の自分の決断と、この歌が言ってることと矛盾があるのだろうかと思いながら歌っていたような昨日。
好きなのに理由はないが嫌いなのには理由があるように、やるのには理由はいらないが、辞めるには理由が必要な気がする。
色んな要素があるけど、もっとも大きなものは、3年前に立てた目標に遠く及んでいなかったこと。もちろんコロナやらそんなこともある。だけどすべてそのせいにするのは違うというのが自分の中にも見えたこと。
色んな人に、“しばらくやめようと思う“、と話すと、みんな気を使ってか“やめなくていいじゃないか“とか“黙って休んでまたやればいいじゃないか“と言われる。
でもそれを自分の目標や夢に置き換えたときに、“成し遂げれなくても黙って続けてればいいじゃないか“という結論にはどうしてもならないと思う。
それにそんなことは今までも何度もしてきたことだから。
三年前、二年前、自分はグラストンベリーに出るという目標を立てた。こんなにも心から立ち向かえる大きくて心から揺さぶられるものは初めてだった。いわゆるブドーカンとかめじゃーでびゅー、とかではなく自分自身の。
一昨年実際にイギリスにいって、ここで勝負しようと思った。戦って骨になってもやれることは全てやれたと、生きれる全てを生きれたと思えるだろうと。
サーセン、だいぶモードに入ってますが、、
しかしこの2年、、もう2年、、
この先に、いつ何がどうなって、今自分がやれる最善のことは何だろうと思った時に、今はダラダラと流行病に文句を言いながら音楽みたいなことをやってる時じゃないと。そんなに器用なことはできない。
週末だけ音楽を楽しめばいいじゃないか、と言われて、何度もそう思えたらさぞかししあわせなんだろうなぁと思ってきたけど、それではグラストンベリーにはいけないし、いけたとしてもそれは望んだカタチでは絶対にない。
死ぬまで音楽をやることはできるけど、死ぬまで自由に夢をもって音楽をできるのはなかなか難しい。
また一年後に戻ってきたいとおもう。
一年後に戻ってきてなかったら、もう一生もどらない。おれのケツはいまカチカチ山状態なのである。
誰に言われたわけでもないけど。
財布の中に10円しかなくてもミュージシャンはミュージシャンと名乗れる。政治家は落ちればただの野武士。
その辺のヌルさに浸かっている時間はない。
あー長くなってしまった。理由なんか話し出すからだ。
とにかくとても色んなことを感じた日だった。
ケツは燃えきってない、ってことで。
不退転の心あらば 大きく望むも いずれそこに至るべしと信ずる