ストロベリーフィールズフォーエバー(乱文)

帰って来ました。

 

蒸し暑い。それ以外の事は浮かびませんでした。

少しずつ記憶が薄れつつあるなか、思い出してみてもとてもいいツアーだった。

そんな余韻に浸る間も無く、マンチェスターで出来た友達が日本にたまたまくるという事で名古屋で会って来た。

ポエットリーリーディング?詩を読むアーティストで、初めて見ることができたけど、とてもよかった。言葉の意味はほとんど分からないけど、いいものはいいしね。

1975と聞こえたので、あの1975ってバンドがキライなの?オレもキライだよって話したら、そうだよな!ロックじゃないよな!どうせロンドンかどっかの出身だよ!といっていた。

考え方がまるで似ている(笑)

酔っ払っていたので、カタコトの英語で、ロックンロールは世代を分断するものではない、という話をした。

すると彼は、そうだね、特にマンチェスターでは年齢に関係なく、文化が受け継がれている、と言っていた。ニューオーダー、スミス、たくさんのバンドが未だにカッコいいバンドとして皆んなが捉えてる。

2年前初めてイギリスに行った時、音楽ではないけど、ミュージカルを観に行ったときにそれを感じた。

子どもも、髪の毛もスーツもバシッとキメて、1人の男性としてそこにいる。駅でも店でもドアは当たり前のように次の人のために開けてあげる。紳士の振る舞いとゆうやつか。

年功序列とか、老人を敬え、とかではない、ただただカッコいいもの、への憧れと、受け継がれていくもの、日本ではあまり見かけないタイプのものだった。

考えてみると日本で唯一残っている思えるのはお祭りだった。カッコいい大人に自分もいつかなるのだ、なりたい、と思わせてくれるものはそれしかないのではないかと。個々のレベルでは仕事の先輩とか、スポーツ選手とか色々あるのかもしれないけど。文化全体として。それも衰退しつつある。

音楽では特に薄いような気がしてしまうなぁ。思いつくのは清志郎とか、村八分とか、尾崎豊とかかな?やっぱり皆んなロックンローラーじゃないか。音楽的趣向の話じゃなくて。

 

話はそれてしまったけど、マンチェスターの彼は2週間ほど日本を回るらしい。次はまたマンチェスターで会おう!といってお別れ。

 

ぼんやりとこれから何をしようかと考えている。やりたいことは決まっているのだけど。漠然と大量のやりたくないことが浮かんで来ている。やりたくない理由が分かるまで、考えてみる。

 

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ツアーを終えて、空港で荷物を預け、やっと軽い身になってツイッターを開くと、地元の年の近い先輩のバンドが解散すると発表していた。

個人的には、なんでこのタイミングに被るねん、と思いつつ。特に驚きはなかった。

3、4ヶ月前、ライブを観に行ったとき、もう辞めるだろうな、と思えてしまった。何故かはわからないけど、それまでそのバンドが描いて来た世界観、ユーモア、そういったものがもうバンド自身、信じられなくなってると感じれてしまった。

それを観てからは、もうライブにいく事はやめた。みていてもつらくなるだけだし。調子がいいとか悪いとかじゃないのもわかった。それがなくなったらバンドは終わりだ。

とりたてて音楽性は好みではなかったし、自分には関係のない音楽だった。それでも、何かしら彼らのやる事に意識が向いていたのは、個人的な関係は置いておいて、彼らのユーモアとスター性と、圧倒的な才能だったと思う。

まだ隠れてトイレでタバコを吸ってる時から知っていたから。

この街では唯一、音楽と人生がリンクしている人だったので、最初に知った時は、どっと疲れのような、黒い雲がおりてきた。

まぁ年齢も近いし、頑張ってきたし、そうゆう人から辞めると聞くと、素直にお疲れさま、と思える。自分もバンドだったらきっと色んな事情が重なってそうなっていただろう、とも思う。

自分はいまひとりだ。

行きたいところには、どこでも行ける。やりたくないことはやらなくていい。

それは良くも悪くもある。

ひと月の間、異国でほぼ自分と同じ重さの荷物を引きずり、誰にも頼れなかった。

そうゆうコトがお前を成長させてるんだよ、と友だちは言うけれど、自分ではわからない。

ただ一つ、それに血の通った言葉をかけてくれる存在がいなくなったのは、また一つ電灯がきえたような。

急激に周囲に対する関心をなくしてしまった。音楽性とか才能とか、巧さとかじゃなくて、音楽と人生がくっついている人間はこの街で見渡してももういない。ロックンローラーとしか、共有する舞台はない。

なにも”受け継がれる”ことはないだろう、と思えてしまっている。打ち上げでの飲み方くらいじゃないか。

あの頃は若かったから、とか言う元ヤンみたいだ。若かったからグレていたのではない。その認識は世代を分断すると思う。

 

漠然と浮かぶ”やりたくないこと”のふるさとはその辺にあるのではないかと思えてる。

No one I think, is in my tree.

I mean it must be high or low.

だれも僕の木にはいない、

それが高かろうが低かろうが。

ビートルズのストロベリーフィールズフォーエバーの歌詞。

 

今自分に言い聞かせることは、

行きたいところにはどこへでも行ける、ほかにない。

 

 

 

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